2006年11月02日

ごぶさたさせすぎております。。

気付けば約3ヶ月もたっておりました。。楽しみにしてくれてたみんなには、大変お待たせしまして申し訳ないと思っております。8月末に個人的にいろいろ忙しくって、なかなか落ち着けなかったわけですが、今日からまたつらつらと書こうと思ってるので、お暇な時には覗いてもらえれるとうれしいです。
さて、日記を書いていない間にも世間では核実験やら安倍政権やら竹内結子の離婚問題やらと、いろいろと事件やニュースが飛び交っていたけれど、その中でも学生さんの「いじめによる自殺」の問題が最近とっても気になっています。
このインターネットやら、携帯電話やらで、世の中が右へならう事がたやすくなってしまった時代と、その昔を比べる事はできない部分もあるでしょうが、僕らの学生時代にもいじめなんてざらにありました。僕自身、今思うといじめていた事もある気がするし、いじめられていた事もありました。そういえば、休憩時間から戻るとランドセルがカッターでズタズタに切られてるみたいな事もあったなぁσ(^_^;)。
そして、いじめられている人を傍観してた事もあって、その中でも一番記憶に残ってる出来事があって、中学校だったかな?放課後の掃除の時に、音楽室でA君が黒板の前に立たされて、それを的にみんなでひとりづつほうきを投げつけている場面があって。で、腕にあたったり、足にあたったりする度にA君は痛みながらも笑顔でごまかすんですね。そして、ある子の投げつけたほうきがA君の額に命中してしまった時、おでこから鮮血が3,4メートルも吹き出て教室全体が血で染まってしまって、その場にいた全員が凍りついて、女の子は全員泣き出すし、投げた本人が一番青くなってるのは当然で、もう大変な騒ぎになりました。
いじめはきっと、人の性のようなものでもあって、社会の縮図のようなものでもあって、いつの時代にも違った形で存在するもののような気がします。
じゃあ何が違うのかって、人が自分の責任をなすったり、自覚すらしてないっていうのが今の状態を生み出しているんじゃないかなぁなんて思っています。
いじめている人間はもちろんですが、まず学校。学校あげての責任回避の習性の異常さ。それから教師。師という文字を付けて歩いてる責任の希薄さ。それから、賛否両論あるでしょうが、自殺する本人の弱さもやはりある気がします。そして学校や、教師だけじゃなくて親の責任もかならずあると思います。
例えば、我が子がいじめられているとわかったから、学校に出向き教師に改善を求める。でもこれでいいのかな、と。過保護が子供の本来身に付けていくべき強さを奪っていく事もあります。貧しい国の子供たちを見ていると、幼い時期から人は生きていく強さを自然に身に付けていけるものだと思っていて、それを阻害するのは本人ではなくて他人でしかないような気がします。その中で親の存在の大きさはとても大きいのではないでしょうか。
親の子供への虐待が比例するように多くなっている気がするのは、この問題と全く関係がないとは言えないと感じます。
学校、教師、被害者、加害者、もっと言えば地域コミュニティーもだろうし、そのすべての部分に様々な問題があるのでしょうが、書き出すとキリがないので、その中でも僕が個人的に一番憂慮している部分は、親や世間が何事も学校、加害者に対して責任を見出しすぎてやしないかという事。もちろんすべてがそうとは思ってませんし、これは個人的な思いです。
苦労は買ってでもしろというのは、古くさい言葉ですが、大事な教えだと思います。保護者は、欲しがるものを買ってあげるのもいいですが、子供の事をしっかり理解する努力をして、持たせられる大きさの責任、苦労は、どっかから買ってでも子供自身に持たせてあげるのが、この問題を解決へと導くある一つの歩なのかもしれないと思っています。

(今、うちの前で車と車がぶつかってすごい人だかりになってますよ(-o-;)けが人はいないみたいですが。。皆さん気をつけてくださいね)
posted by Maa at 15:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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